週5日働きたくない人におすすめ。好きな仕事&週休3日生活をしている人の本
無職になっていよいよ1か月が経過しようとしている。
平和だ。
最近読んだ本に価値観を変えられた。
30歳で雇われる生活を辞めて小さなBARを営み、好きな仕事をしながらで週休3日の生活を送っている高坂勝さんという方の著書『減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)』という一冊だ。
本の内容については後述するつもりだが読後に色々考えさせられた本で、好きを仕事にする人生を送りたいという願望と、働きながら労働社会や資本主義に対して疑問に思っていたことが沸々とわきだしてきた。
目次:
- 人口減ってモノがあふれているのに、売り上げは「前年度越え」に疑問
- 雇われている人の仕事が増えるだけの「効率化」を求めることに疑問
- 資本主義社会で心を殺さずに生きるコツ
- キャリアを捨てて、週休3日&好きな仕事を手に入れた元サラリーマンの本
- ガツガツ働くのは少しの人だけでいい
人口減ってモノがあふれているのに、売り上げは「前年度越え」に疑問
例えば、単純に、どうして企業の売上は前年度を超えなくてはいけないんだろう?
私は過去に携帯ショップとか他にも販売の仕事をしていたのだけど、そのときにすごく疑問に思っていた。
売り上げ目標は前年以上。なぜ?なんて意見をする人はいないけど、これがどうしても理解できなかった。
だって、戦前戦後やバブルまでの右肩上がりの時代ならわかるんだけど、今は人口も減り、モノがあふれ、どう考えても右肩上がりの思考は時代遅れだ。
もちろん、未開拓であるブルーオーシャンな市場をターゲットにしたビジネスもなくないんだろうし、そいう会社はある程度成長するまで右肩上がりの目標でもいいのだろうけど、すべての会社がそうする時代はもうとっくに終わっている。
それなのに、今だに日本の企業はこぞって右肩上がりを目指す思考続けているワケは、それに気づいていないか、そんな現実を受け入れたくないか、今までのやり方を変えたくない・怖くて変えられない、といったところだろうか。
要は古い世代の人たちが経済成長の時代は終わったという現状に気づいてない、もしくは受け入れられていないのだ。
そして未だにたくさん働けば儲かるという思考から抜け出せないでいるから、長時間労働のくせに日本より労働時間が短いヨーロッパ諸国からGDPで抜かされるのだ。
雇われている側はいい迷惑だ。
過労死だって結局、企業や経営陣が世の中の市場や現状にマッチしてない利益を追求しているという矛盾が発端なんじゃなんじゃないだろうか。
例えば、私が働いていた頃はすでに携帯電話は飽和状態だった。人口も減少しているのに、なぜ、目標の台数は前年より高くなくてはいけないのか、ほとほと疑問だった。しかも洋服とか食べ物みたいに1人でいくつもの品を購入するものと違い携帯電話って基本的には1人につき1台でしょ。
まぁ携帯に限らず洋服だって家電だって飽和状態でみんな必要なものは持っている。そりゃもちろん新たに必要になる人も一定数いるだろう。そしてその一定数を他のメーカーから奪えということなのかもしれないが、少ない顧客の奪い合いをいつまで続けるんだろう。
一定数の購買客の売上で横ばいではなぜいけないんだろうか?
まぁ会社を大きくしていくためには、純利益を増やして新たな店舗やら事業やらに投資してしかなくてはいけないので、赤字じゃなきゃOKというわけにはいかないんだろうけど、でもそもそもどうして会社を大きくしなくてはけないんだろうか。
自社の商品をたくさんの人に使ってほしい、会社の理念を日本や世界に広めたい、その結果、店舗を増やしたいとか商品を増やしたい、ということなら、まだわかるんだけど、会社を大きくして利益を増やすために、店舗を増やしたり商品を作るのは本末転倒だ。
でも現状多くの企業は会社を大きくしたいし利益を増やしたいから、商品を生み出すというサイクルになってしまっているような気がする。
でも、これだけさまざまなけモノやサービスが行き渡っている以上、劇的に販売数を増やしたり、売り上げを延々と右肩上がりでキープするのは、既出のサービスやモノでははっきり言って無理だと思う。
その、無理を会社はいつまで続けるのだろうか。
世の中の働いている人たちがみんなそのあたり何も疑問に思わないのだろうか?って考えたけど、思い返してみれば、携帯ショップで働いていたときに「目標って達成してもずっと達成してたら、結局上がっていくから、達成しても意味なくない?」みたいな会話を仲の良い子達同士でしたのを覚えている。
たぶん、疑問に感じている人はたくさんいるんだろうな。
ただ、その矛盾を追求してしまうと仕事ができなくなってしまうので、ほとんどの人は気がつかないフリをしているのだろう。
なんも考えてない人も一定数いるかもしれないけど。
雇われている人の仕事が増えるだけの「効率化」を求めることに疑問
「目標は前年度越え」とともに疑問に思っていたのが「効率化」「生産性」という言葉。これもなんだか今更感がぬぐえない。
っていうか、効率化して得するのはやっぱり会社なわけだ。雇われている側は効率化が進んでもその分浮いた時間で新たな仕事を延々振られるのであって、下手をしたら負担が増えることだってある。
もちろん、仕事を追行するのにムダなことや面倒なことはないほうがいいに決まっているし、雑務ばかりで本職の時間が少ない!なんて状態のときには、もっと効率よくできないか考えるのは普通のことだ。
でも、ある程度効率的に行えるシステムや手順ができてしまえば、あとはそれ以上効率的になったところで、結局その効率的なことが続けばその状態が普通になってしまうので、その分仕事が多くなるだけじゃ?ってずっと思っている。
とくに自分のこなすべき仕事の裁量の線引きが緩い日本の労働環境では労働者にとっては本当に意味がないと思う。
もちろん、効率化が進んで労働環境がよくなったとか、従業員の負担がなく顧客へのサービスが向上したとか、コストが下がったとか、効率化が本当に効率化の意味があるというケースもあるんだろうけど、躍起になって効率化を求める必要もない会社も多い気がする。
だから、必要以上に効率化効率化といつまで言い続けるつもりなんだろう?と疑問を持たずにはいられない。
かつて私はこんなモヤモヤを抱えながら働いていた。でも、最近思うようになったのは、そんな働き方から脱出する方法がなくはないんだな、ということ。
ぱっと思いつく限りでは3つある。
資本主義社会で心を殺さずに生きるコツ
1:商品じゃなくて自分を売りこむ
私は販売や接客業をしていて、モヤモヤすることも多かったが、楽しいこともあった。仲間のことはひとりひとりを尊敬していたし、笑いが止まらなくなってしまうくらい個性的なお客さんたちと楽しい会話をすることもあった。
また、指名で来店してくれるお客さんがいたり、自分の説明で商品が売れたときはやっぱりうれしかった。
んで、商品が売れたときってやっぱりその商品をお客さんが使ってくれてうれしい!というよりは、自分から買ってくれたからうれしいと思っていた。だって、例えば、ケータイなんて、全国何万という販売店があり、そこで同じものが売っているんだから。
だから、その商品を使ってほしい!という気持ちよりは自分がお客さんと楽しく話ができて、その結果アタシから商品を買ってくれた、ということがうれしかった。
だから、モノを売るというより自分を売る、お客さんと楽しむ、みたいな気持ちで仕事ができると楽しいのかなと思う。
2:消費社会直接にかかわらない仕事を選ぶ
単純にモノを売ったり消費を促すような職種や業界にいなければ、資本主義とは何ぞや?この商品をゴリ押ししたからといって誰が得をするのか?とかモヤモヤ考えることは少ないのかもしれない。事務職とか、医療・福祉、公共サービスの仕事とか。
数字と無関係ではないけど、クリエティブな仕事もまぁ扱うものや立場によっては、自分が先陣をきって売り込んだり数字を追うことからは逃れられるかも。
3:フルタイムの仕事を辞めてスローに、ミニマムに生きる
フルタイムで働いていると、日々のお昼ごはん代、付き合いでの出費(贈り物とか飲み会代とかランチ代とか)、自炊ができないための食費、本来は不要な情報からは物欲を刺激されるし、ストレスを解消するための飲み代や娯楽費、etc……。働いているがゆえのコストがかかりすぎる。
一方、在宅ワークとか週2日とか3日の労働時間で近場では働く程度にとどめれば、上にあげた出費は限りなくゼロになるだろうし働くストレスは少ない。
そうするとたぶん手取りで15万円くらいあれば生きていける。もしも20万円くらいあれば結構豊かな暮らしができるんじゃないだろうか。田舎なら10万円くらいで生活できるかもしれない。
それって、すごく自由なことじゃないか?
不本意だと思う仕事をやらなくてもいい。
稼ぎ続けなければいけないプレッシャーから解放される。
家族や友人や恋人との時間をたっぷりとることができる。
消費活動にあてる時間や手間から自由になれる。
趣味の時間を存分に楽しめる。
不必要な人付き合いから解放される。
長時間働くストレスから解放される。
少ないお金で幸せに暮らしていける術を身に着けたら、好きなことを仕事できる可能性がぐーんと高くなるし、万が一働けなくなっても国や家族のサポートで不自由することなく生きていける。
ヨーロッパなどと比べると社会保証が薄い日本では、少ない生活コストで生きていける術を身に着けていたら、何にも代えがたいほど精神的な支えになるんじゃないだろうか。
キャリアを捨てて、週休3日&好きな仕事を手に入れた元サラリーマンの本
今回つらつら綴ってきた想いは、高坂勝さん著の『減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)』という本を読んで、ふつふつ湧き上がってきたもの。
この本では、著者の高坂さんが小売業界でスピード出世し、地位も安定した収入も得ていたサラリーマンから、1人でオーがニックバーを開くまでの軌跡、その後、週休3日生活と空いた時間で米と大豆を育て、半自給自足の生活スタイルを得るまでの道のりが語られている。
書店には多くの自己啓発や生き方指南の本がある。会社員としての生き方はもちろん、それ以外では、起業したりフリーランスで生きるためのハウツーもの、不器用さんのネオ二ート的生き方の本など……。
が、この本がそれらの本と一線を画している大きな理由は2つある。
会社員を経験後、スローライフへ
1つ目は、高坂さんが「デキる人である」という点。
少ない労働でゆったり生きたいと思う人は、どちらかというと会社員で働くことじたいが向いていない不器用な人が多い。
その点、高坂さんは会社員時代は売り上げ成績はトップクラスでスピード出世。人付き合いも楽しんでいるし、BARを出したいという夢を掲げてからの行動力も人一倍だ。BARを開いてからは夢をもつ人のアドバイザー的に存在に。怠け者とおっしゃっているが、全くそんなわけがない!
会社員としての経験がある故に、本書で減速して生きることの大切さを語る言葉には説得力がある。
そして何より、会社員の一員としてしっかりと活躍できる人ですら時間や数字に追われず豊かに生きる選択をしようと考えるほど生きづらい社会なんだということと、それから脱出したいと思うのは自然なことなんだなということも実感した。
スモールビジネスで生きていくまでの道のりが具体的に書いてある
本書の2つ目の特徴は、高坂さんはただ会社員を降りる生活やフリーランスや起業を推奨しているわけでなく、あくまでも「ダウンシフターズ」、減収してゆっくり人生を歩むことを推奨していることだ。
フリーランスになったり起業をして、やりたい仕事でガンガン稼ごう!みたいなことは一切書いていない。
減速してスローライフライフを送ることの幸せや、稼がない自由、ミニマムに生きることで広がる可能性、などがこの本には詰まっているのだ。
そして、そんなライフスタイルにちょっとでも興味がある人へ向けて、スモールビジネスで生きていく方法、自分が納得いく労働時間と収入のバランスを実現するまでの道のり、ミニマムかつ豊かな生活を送るためのさまざまな選択肢、そして、誰でも週休3日や雇われずに好きを仕事にするライフスタイルを実現できるのだということを、自身の経験を交えて教えてくれる。
派遣切りにあって求職中の身で、やりたい仕事が見つからずにもんもんとしていた私は、この本を読んで「ミニマム生活&就職しない」という選択をし、ブログやスモールビジネスで生きていきたいし、そうしよう!と決意した。またそれに向かって進もうという勇気が沸いた。
ガツガツ働くのは少しの人だけでいい
私はこの本を読んで1つ価値観が変わった。
というのも、今まで私は、「『ガツガツ働かずにゆったり生きたい』という人がいてもいいし、そういう生き方ができる社会になるべき」と思っていた。でもこの本を読んだらそれが間違いだと思えてきた。
「『ガツガツ働かずにゆったり生きたい』という人がいてもいい」のではなく、ガツガツ働かずにゆったり生きたいと思うのは人として当然のことなんだーー。
長時間労働なんてもってのほかで、本当は1日数時間くらいの労働、もしくは週休3日くらいで心豊かに生きるスタイルのほうが自然で人間らしい生き方なんだと。
ガツガツ働く、1日に少なくとも8時間も9時間も働く、定休日なしで営業する店が普通、であることのほうが、異常なんだ。
もちろん、仕事が楽しくてたくさん働きたい人がいてもいい。
でもそれは、経営者とか、本当に好きな仕事をしていて仕事が趣味だから休みは少しでいいと思っている人とか、何か特別な才能や使命のようなものを持ち合わせていてそれを、それを仕事に活かしている人とか、スキル伸ばす時期とか起業したてとか一時的はがんばりどきにいる人とか、やりたいことのために今はいっぱい働いてお金が欲しい!という人とか、とにかく、他者からの圧力が一切なくても自発的に働ける人だ。
それ以外の人は少しの労働で豊かな時間を過ごして生きればいい。
バリバリ働く人がほめたたえられるし、「遅刻も欠勤もせずいい成績をあげるよう努力し続ける人が社会人として普通」みたいな風潮だけど、たぶん、本当はそれは普通じゃない。よほど頭が良くて体力もあって恵まれていスーパーマンか、資本社会に洗脳されている人だ。
通勤時間を入れたら1日の半分を仕事に費やしてそれを、週5日定年まで…、想像するだけでツラい…と思う人のほうが人間らしいのではないだろうか。
そんな風に思えた本。
また、「私も、理想のライフタイルを手に入れよう!」とワクワクして気分が前向きにになれた本だ。