コロナ疲れ。一生、国民同士でマスク警察と自粛警察をするつもりなのか

ブログやめようと思って更新していなかったのだけど、戻ってきてしまいました。

コロナ騒動が恐ろしく鬱々としている。コロナが怖いのではなく、コロナによる人々のスタンスが恐ろしい。先ほどはてなを開いたら、有名ブロガーが自粛警察的な記事を書いているのをうっかり読んでしまい、余計に人間不信となる。

生きるってなんだろう?死ぬってなんだろう?病気になるのはそんなにいけないことなのか?様々なことを考えさせられた。

 

私は現在のコロナ対策は過剰だと思うことが多くそれにも憤りを感じるが、なんというか、自分の今の鬱々とした気持ちは、そんなことよりももっと根本的なもののような気がする。

 

まず、自粛警察・マスク警察など監視する人間がいることが悲しい。他人をコントロールしてる自分が正しい!と思ってる人の恐ろしさといったら確かに、コロナを驚異的なものと感じている人にとっては、旅行に行っている人などの気持ちを理解できないのかもしれない。

しかしだからといって、その方に直接被害が及ぶわけでもなく、旅行をしているということは、旅館や土産店が営業しており、食材業者や農家や様々な業種の助けになっているわけだし、売春しているオヤジのように弱いモノを搾取しているわけでもないだろうし、なぜ赤の他人がただの旅行者に対して説教めいた怒りをまき散らすことができるのか(飲食店に行く行為などに対しても同じ)。

マスクもしかり。マスクしていない人がいただけでなぜ怒るのか。マスクを差し出すことがなぜ親切なのか。外に出てマスクをしないということは、むしろ体調不良などはないわけで確率的には少なくとも99.9%以上コロナではないし、病気などでマスクがつけられないかもしれないし、あなたに向かって咳やくしゃみをしたというならともかく、静かに歩いていたり座っているだけで、なぜ鬼の首をとったようにマスクしないやつがいる!などと怒っているのか。

これはもちろんマスクをするな、ということではないが、常時着用していないと非難されるような同調圧力は、ほぼ戦時中変わらないのではないか。

両者とも、結局、他人をコントロールしようとしているわけで、さらに今のコロナ禍ではそれが普通になっていて、世の中に絶望している。悲しいし恐ろしい。

施設や店でルールを決めてそれに従ってもらうのは仕方がないが、いち個人が、他者の領域で旅行や帰省、居酒屋に行くマスク非着用などを行う人に対して、それを制限する理由は全くない。こうゆう他者を監視する姿勢は、「コロナが感染拡大しているから」というのは理由にならない。店舗が"店舗内”で「店内でのコロナが感染拡大防止のため」とマスクの"お願い”をするか、非着用者の入店を断るというなら仕方がないが、いち個人が非着用者を非難する権利も着用を強制する権利もない。

 

それから、もう一つ絶望している理由が、ウィルスや病気を人間がコントロールできるのが当たり前という空気。

現在の第3派といわれるコロナの波は、はっきりいって季節的要因がほとんどだと思う。大人なら日本では冬に感染症が増えるというのは当たり前のこととして知っているのではないか。少なくとも一切無関係ということはあり得ない。

それを、「人間の力でコントロールして限りなくゼロに近い状態にするのが当たり前」と思えるのはなぜなのか。それがさっぱりわからない。

春夏秋冬があって、それぞれにいろんな生き物や微生物が生きたり死んだりしてまわっているのが地球でしょう。違うの?美しい花や犬や猫やパンダだけかわいがって、人間にとって邪魔と決めつけたものはすべて人間がコントロールできると思ってるじゃん。

命が大事というのは、それはもう当たり前のように人間の命だけが大事てことだよね。でも草木や農作物を含めた生き物が全滅したら人間は生きていけないんだけど。半分になっても生きていくの難しいんじゃない?

ウィルスだって害があるだけじゃなくて、子供のときから風邪をひいて免疫をつくっていくわけで。例えば生まれて無菌室でずっと過ごしてたら、たぶん相当免疫弱くなるよね?もちろん時に命を奪うこともあるけど、それは人間の宿命ではないのか。いつかは皆死ぬんだから、生きている以上、死ぬリスクをゼロになんてできない。これは感情論は抜きにした事実。もちろんリスクを軽減しようとするのは自然なことかもしれないけど、ウィルスはかわいいペットのように言うことは聞いてくれないし、リスクを軽減するために他人に何かを強要することではできない。もしも怖いなら、感染対策を”お願い”するか、自分が引きこもるしかないはず。(それぞれポイントは違っても、感染対策を全くしていない人はおそらくほぼいないと思うけど)

そりゃあね、2~3週間くらい引きこもってゼロにできるなら(※エボラなど毒性の強いいウィルスは感染力が弱いので可能?)、みんなでやればいいけど、やらないのはできないからだよね?だってそれでウィルスなくなるなら、風邪も肺炎球菌もインフルエンザもとっくにこの世からなくなっているはずだよね。

まぁ私もゴキブリとか蚊などは殺してしまいはするのだけど。一応殺生したという自覚だけは忘れないようにしているし、自分のところにやってきてもない致死率が高くもない見えないウィルスを血眼になって全滅させようとするのは、どう考えても自然の摂理に反しているようにしか思えない。

こんなことをいつまで続けるのだろう?という問いに、もしかすると多くの人がワクチンができるまでと答えるかもしれない。でもそもそもワクチンは、あって当たり前のものではない。インフルエンザワクチンだってここ何十年かでしょう。できたのは。途上国の中にはワクチンの存在を知らない国だってあるだろうし、そももそ日本はたしかワクチン大国だったような。有用性を疑問視する声も多い。ワクチンができなかったらどうするつもりなのだろう。一生、国民同士でマスク警察と自粛警察をするつもりなのか。

少し前までは、コロナ禍による人災で地方の観光資源や良心的にがんばっている個人店や伝統文化などがなくなってしまったらどうしよう、とやきもきしていたのだけど。

絶望している理由を考えていたら、ほとんどどうでもよくなった。所詮はすべて人間が作ったものだと。

自然だけ残ればいい。そんな風に覚悟が決まった。

まぁ自然や美しい景色も、コロナ前から脅かされてはいるけど、ちっぽけな人間なんかと違って、天変地異や人間の侵略にもめげずに太古の昔から生き伸びてきたのだから、たぶん大丈夫。本当に、自然がありがたく、恋しい。そんな風に改めて思えたのはコロナのおかげかもしれない。