毎日書くということ。書き続ける意味

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派遣週4日、働きながら物書き目指してる私。

約1年くらい前にフルタイムで働くのをやめて、この1年間は人生1番、自由な文章を書いた1年だった。

ブログでホントにわずかながら収益が発生し、以前から書いていたnoteでも有料記事にもチャレンジしようと思い執筆し始めたところだ。本を出したり、コラムを書いて生計を立てたいという目標もあるし、ノンフィクション作品の公募などもしたいのだけど、なかなかすべてに着手はできなくて、当たり前だけど、一気にものごとは進まないのだなとひしひしと感じている。

でも、最近、とにかく、書くことを細く長く続けようと心から思う。

職業柄、たまに著書がある人の話を聞いたり、ちょっと名前の知れた作家さんの話とかネットで読んだりすると、本を出している人や作家とかブロガーとか、書いて生計をたてている人というのは、もれなく書き続けている人だからだ。

中学生からブログをずーっと書いていた、とか、電車の中で携帯で書いていたとか、ブログを10年続けているとか。

それで自分ももっと書こうと決意したわけだけど、「言うは易く行うは難し」である。何を書いたらいいのかわからなくなったり、書く目的がわからなくなったり、これを書いて何になるのか?とふと思ったりもする。知識が足りないんじゃないかとか思ったりも。

作家になりたければ毎日書けとはよく言われることなのだが、それが身に染みた。

まぁ、毎日は書けてないんだけど、書く量を増やしてわかった。

その日書いた原稿が100%の出来でなくてもいいんだ。上達することが目的でもないような気がする。書き続けることに意味があるんだなと。

第一に、書き続けないと何も始まらない。本も出せないし、コラムにストにもなれない。

書くことがなくても、書いているうちに、もっと書きたいことが出てくることもわかった。

書くことを生活の一部にすることで、文字にすべき思考や出来事に気が付くようになるということもわかったし、自分が書きたいことのテーマさがしも同時にしているということもわかった。

あと、何が何でも続けようと思った理由の1つに、得意分野であった仕事を途中で辞めてしまったがために、本人も何をやったらいいかわからなくなってしまった人をぼちぼち見かけるから。

それが、本人にとって未練がないことで、明るく生きていてくれればいいのだけど、過去の栄光について話していたり、人の成功についてうらめしそうな反応をしたり、というところを見せられるとこちらとしてもいたたまれなくなってしまう。

だから、一度足を踏み入れ、これだ!と思ったものは、それで食べていけないからとかそんな単純な理由だけで、極力手放すべきではないと思った。一度ダメになってもまた、細々とでもいいから自分が活躍できる場所を探さなくてはいけないと、そういう人たちを見て思った。

細く、長く、でいいし、ときにはお金にならなくても。続けておくのと、一切やらなくなるのでは全然違うと思う、と自分にも言い聞かせている。