会社員、卒業してみた。

「専門学校卒業→フリーター事務職→フリーター接客業→ライター→WEBメディア編集者」を経て、2016年末からライターかニートかわからない。ゆくゆくは文筆業で食べていきたいがそれまでどうやって食つなぐ方法がわからず……。スローライフ、働き方、旅、日本の伝統工芸・アート、ものづくり、お酒やおいしいごはんについて綴ります。

わたしが仕事をズル休みをしていた5つの理由

ズル休みは本当にいけないことか?

 

「ズル休み」というと、ものすごく悪いことで絶対にしてはいけないものだと、わたしは思っていた。

 

それなのにわたしは、仕事をズル休みしたことが何度もある。だから、過去に、仮病を使い休んでは罪悪感を感じていた。

 

でも、最近、思う。

 

ズル休みをするのは、本当に悪いことなのだろうか?

 

たぶん、めちゃくちゃ大事なアポやプレゼンがあるのに、雨降っているからとか、家でゴロゴロしたいから、というような理由で、休んじゃおー!という人は、日本人にはあまりいないと思うのだ。

 

 

「ズル休み」(正確にはと呼ばれてる現象)に至った原因を深堀りしてみると、ズル休みをする理由があったり、実はズル休みではなかったりするんじゃないだろうか。

 

 

ズル休みにも、いろいろと種類があり、精神の不調、カラダの不調、仕事のペースに無理が生じている、か、誰がどう考えても本当のズル休み、などだ。

 

 

今回は、ズル休みをする(というかわたしがした)理由と原因を詳しくさぐってみた。

 

ズル休みの理由1:実はカラダに不調があった

 

ただ会社に行きたくない。それだけで休むなんて、立派なズル休みだと感じるが、経験上、実は、貧血やPMSなどカラダに不調があったというケースが少なくない。最近は、これは貧血だとかPMS(生理前にイライラや憂鬱な精神症状が現れるなどなんらかの不調のこと)だとかわかるし、少しは事前にケアする術を覚えたので、これらで休むことは今はあんまりなくなったかな。

 

あと、行こうと思えば行けるけど、なんとなく調子が優れない、カラダがだるい、なんてときも、休むと罪悪感を感じてしまうものだが、本来は全然休んでいいと思う。がんばって行って悪化するより、症状が軽いうちに休んで早めに直したほうが、会社にとっても本人にとってもいいのに。なんとなく日本では、風邪であれば、下痢がとまらない、とか、熱が38度以上あるとか、かなり最悪じゃないと休んじゃいけない、みたいな空気があるのはなぜだろう。

 

「行こうと思えば行けるけど調子が悪い」ときの休みのはズル休みでない。

 

若い頃はサービス業をしていたこともあり(日によって、誰かが休むととんでもなく忙しくなる)、行こうと思えば行けるくらいの不調で休むことに罪悪感を感じていたが、本来は、1人休んだだけで、まわらなくなる会社の体制のほうがおかしいのかもしれない。

 

ズル休みの理由2:著しい精神的疲労を感じる

 

とにかく、仕事が原因であれ、プライベートが原因であれ、精神的に疲労困憊している状態。これも、高熱にうなされているわけでもないのに、休んでいいものか?と罪悪感を感じてしまうものだが、どうしてもつらいときは、やっぱり休んでいい。1日や2日休んで、うつ病を免れるならぜんぜん大したことないのだ。

 

とにかく精神的に参っていて「ふとんから出るのも苦痛」とか「これから電車に乗るなんて信じられない」なんてときは休んでも、ズル休みではない。「心身の不調」と捉えて罪悪感もたなくてもいいと、少し前から思うようになった。

 

ズル休みの理由3:働きたくない(逃げたい)

 

わたしは、過去にあまり好きではない仕事をしていたときには、ただダルくて、正真正銘のズル休みをしたこともある。でも、がんばって行った日もある。がんばって行くコツは「今日はとりあえず行くだけでいい、会社に行けただけでえらい」と自分にい聞かせること。とにかく、行くだけでいいから、隙があったらサボってもいいし(実際は意外とまじめなのでさぼらいんだけど)、愛想もふりまかなくていいと、自分にいいきかせて、なんとか家を出ていた。

 

でも、この、逃げたい、も実は、仕事が合っていないよ、自分の道ではないよ、疲れているからペースダウンしたほうがいいよ、というサインであり、「2:著しい精神的疲労を感じる」と紙一重。重症になったら休んでもよいのでは?

 

わたしの場合は、自分にあった仕事を見つけてから、このただ働きたくなくて逃げたくてズル休みすることはなくなった。自分にあっている仕事をすることは大事だ。

 

ズル休みの理由4:実は仕事のペースが合っていない

 

長時間の通勤と一日8時間労働、ときには残業などで、とにかく時間に追われている……やらなきゃいけないことや、やりたいことも考えたいこともたまっていて、家も散らかっているし、頭がどうにかなりそう!!!!ということが、過去に何度かあった。休日出勤があったり、休日はあっても疲れて寝ていて、精神的疲労が回復しないとか、とにかく、混乱しているときだ。

 

そんなときにも、わたしは仮病をつかって休みをもらうことがあった。家事やたまっている用事を片付ける時間や、考え事などをして精神を落ち着かせるための時間がどうしても必要だったから。「2:著しい精神的疲労を感じる」と似ているが、「4:仕事のペースが合っていない」は、生活を整える時間がなくて、著しい精神的疲労を感じており、時間さえあれば「著しい精神的疲労」を取り除くことができる。

 

一般的には、ズル休みの範疇といえるかもしれない。立派なズル休みでしょ!という声が聞こえてきそうだけど。

 

しかし、のちのち、仕事や働くペ―スがあっていないと、どうしても定期的にこの混乱日が訪れてしまう……ということに気が付き、わたしは、まぁ、やりたいことへ注ぐ時間もつくりたくて、フルタイムの会社員を退職したわけだけど。

 

これはよく考えたら当然で、だって、体力も、必要な睡眠時間も、通勤にかかる時間も、疲労を回復させる能力も、人それぞれ違うんだから。フルタイムで働き、生活がまわらなくなる人がいても、なんもおかしいことではない。

 

最後に:言い訳できないズル休みって?

 

寝坊しちゃって、なんとなく、とか、遊びに行きたいから、とから、そういった理由で休むのは、確かにズル休みかもしれないし、そんなときも休んでいいよ、胸をはってすすめることはさすがのわたしもできない。ただ、それも究極をいえば本人の自由だとはわたしは思うのだが。

 

といいつつ、寝坊しちゃって…は、はるか昔にわたしもなきにしもあらず……。

 

ただし、今回こうして、「ズル休み」を深堀りしてみると、わたしの場合は純粋なズル休み(?)は意外としていないことに気が付いた。

 

もちろん、休めば迷惑をかける場合もあるし、給料、もしくは有給は減ってしまうし、大事な日に休むと、まわりだけでなく、自分もあとから大変にあるケースも多いので、そのあたりは自己判断で。

 

でもでも、やっぱり思う。日本の社会がもっと気軽に休めたら、過労死なんて言葉は生まれなかったかもしれない。つらいときはとにかく休もう!



お金をもらえる分だけ働いていればいい。「労働」にムダな努力はいらない

「労働」と「仕事」は違う

過労で心を病んでしまう人がいる原因のひとつに、「労働」と「仕事」の区別がついていないことがあげられるのではないかと思う。

 

三省堂の「新明解国語辞典」によると、それどれは以下のように説明されている。

 

労働

収入を得ることを目的として、その人自身のからだを使ったり、頭を働かせたりして、行動すること。

 

仕事

からだや頭を使って、働く(しなければならない事をする)こと。

 

2つの違いが、シンプルだけどわかりやすく表されていると思う。「 労働」は、金のための行為で、「仕事」はお金に関係なくても、「しなくてはならない」(=自分にとって必要なこと、それをせずにはいれらない)と思える行為。

 

何が言いたいのかというと、給料をもらうことを引き換えに働いている、サラリーマンは、金をもらえる分だけ「労働」していればいいのである

 

過労がたたり、体や心に支障をきたす人は、たぶんもらっているお金のぶん以上に「労働」をしてしまっているのだと思う。

 

みんなもっと働いているからとか、やらないと上司に怒られるから、人が足りなくて仕方なく2人ぶん働いている、とか、そもそもの仕事量が給料と比べて多すぎる、そういう理由で同じ(もしくは見合っていない)給料で、必要以上の業務量や責任やらが増えるのは、本来間違っている。なぜなら、「労働」とはお金のために働くことだから。

 

だから、本当はみんなもっと、これは単なる労働だ、と割り切っていいと思うのだ。

 

 

「そんなの甘い。社会人として、生きていくにはもらっているお金以上に働かなないと、通用しないよ」 という声も聞こえて来そうだけれど、お金のぶん以上、もしくは給料に関係なく働くには、本人にとってそれが「労働」ではなく「仕事」でなくてはいけない。

 

・お金をもらう以上に働くべき。

・人から感謝されるように働くべき。

・お金をもらってるぶんだけ働いてたんじゃ、社会で生きのこれない。

・ときには我をわすれて努力すべき。

・ときにはがむしゃらに働くことも必要。

・給料もらっているんだから、プロとしてできることは何でもこなすべき

 

なんて内容の記事とか意見や言葉を目にすることは多い。でも、給料をもらっているからという動機だけで会社からいわれたことだけをこなす働き方で、このような精神論の数々を当てはめると、きっと心は壊れる。

 

これらは、ぜんぶ自分で選んだ仕事でかつ、お金は関係ないもしくは第二で働くことが身になると思える「仕事」に対する内容で、いわれたことをこなす「労働」にあてはめるべきではないのだ。

 

それなのに、働く人も企業も、マスコミも、だいたい、労働と仕事をごっちゃにしてしまっている。

 

というか、労働という概念を認識していない人があまりにも多いのではないか。もっといえば、労働者=いわれたことしかできない人、もしくは、日雇いで働く人、というイメージにより、社会の邪魔ものようなイメージ。どうも「クサいものにふたをする」ようなフシがある。

 

 

でも、わかりやすくいうと、一生涯毎月100万円もらえます、といわれても続けるのが「仕事」、やめて違うこと、もしくは好きなことをするぞと思ったら、それは「労働」なのだとわたしは思う。「新明解国語辞典」もそういっている、たぶん。

 

そういうと、キャリアのある人などは「そもそも労働をするな、仕事をしろ」というだろう。わたしもそう思う。

 

給料をもらっている中で、お給料以上に、自分が成長したい、楽しい、天職だと思える、スキルアップのため、と思える「仕事」をしながら働けるのは素晴らしいことだと思う。

 

ただ、日本の会社は部署や職種をまたいでの異動もあり希望の仕事ができるとは限らないし、どうしてもお金が必要で働かなくてはいけない人もいるし、やりたいことがわからず「労働」を続けている人、プライベート重視で労働とか仕事にこだわらない人、いろんな人がいると思うので、一概に、やりがいのある仕事に就きなさい!なんていえないはずだ。

 

また、「労働者」を脱しようと、何か自分がやりたいプロジェクトや企画を提案しようにも、よほどのバイタリティがある人か、よほど恵まれた環境でないと、やらなきゃいけないことをこなしながら、自分のやりたい仕事をやるのは日本の会社では厳しいだろう。

 

だから、スーツを着た日本のサラリーマンにも「労働」をしている人は多いと思う。いわれたことをあれこれ、給料のために「労働」しながら、上記の精神論を真面目に信じて、長時間労働なんてしようものなら、体や心がおかしくなって当然だ。

 

だから、会社員は、給料以上に働きたいと自然と思える人だけ、給料以上に働けばいいと思う。そうじゃない人は、もらっている給料のぶん、淡々と働いていればいいはずだ。残業だってムリにする必要ない。もちろん、さぼってもいいとか、仏頂面で仕事していいということではないし、働くうえで業務を覚えることは必要だとも思うが。

 

そもそも、それが普通なはずなのに、日本の会社はどうも、貰っている給料以上とか、決まった業務以上に働かなくてはいけない、という無言のプレッシャーがあるように思う。

 

もちろん、給料関係なく、自分が楽しんでできる仕事をできたら1番だし、素晴らしいけど、「給料以上に働きたいと思える人」がスタンダートになってはいけない。(ただい、給料関係なく働く=残業、というわけでもないと思うのでそのへんもご理解を)

 

(ちなみに、ブラック企業でもないけど「淡々と働くのもツライ」という人は、職種か労働時間を見直したほうがいいと、個人的には思う。)

 

でも本当の理想は、働く側が「給料以上に働きたいと思える仕事や趣味を職業にすること」かもしれない。プラス会社側の長時間労働じゃなくても利益を出せる仕組み。

 

自分は今どちらかというと労働をしていると思った人は、これは単なる労働だと割り切って働いていい。(どちらかに明確にわけられないこともあるかもね。心持ちしだいで変わるので、仕事50%、労働50%かなという人もいるかもしれないけど。)

 

「そんなこと言ったって……仕事は減らない」「働かないと生き残れない」とか思う人には、こう問いたい。

 

同じ仕事をしていても、

 

これは労働だ。給料もらっているぶん働いていればいい。自分は給料の分はもう働いているからあとはできなかったら仕方がない」と思って働いている人と、みんなもっと働いているのに、自分はこんな仕事でツライなんて……。もっと働かなきゃ」と思って働いている人、どちらが精神衛生上よくないか?答えは一目瞭然だろう。

 

ちなみに「労働」ではなく、「仕事」をしていても、過労がたたるケースはあるんじゃ?と思う人もいるかもしれないけど、個人的には、病気になるまで働いてしまうのは、何らかの圧力があるが故、と思うので、本人は仕事のつもりでも、「労働」の割合も多かったのでは?と思う。特にメンタルやられてしまった場合などは。

 

っていうか、書き終わってちょっと笑ってしまった。もらう給料のぶんだけ働けばいい、って超当たり前のことじゃん!その当たり前の権利が日本の会社員には少なすぎやしないか……?

なるべく働かないで生きるための4つの方法

週に5日も労働したくない

 

アクセスログをチェックしたみたら、PVが上がっていて、

gerdamonroe.hateblo.jp

という記事が人気で仲間がたくさんいることが判明した。うれしい限りだ。

 

わたしも、なるべく働かないで好きなことをしようと思っていたのに、気が付いたらうっかり週5日働いてしまい(ふつーの人よりはゆるい働き方です、たまに原稿書くのがだるくてダラダラ小休憩いれたりしているので)また息苦しくなっていたところだった。

 

そこで、改めてどうしたらユルく働いて生きていけるか、を真剣に考えてみようと思う。だって、週に5日働かなくても生きている人は、実はめちゃくちゃ多い、はず。そして、そんな人たちは、主に次の4つの分類できるのではないだろうか。

 

1.世捨て人系

 

田舎暮らしやシェアハウス暮らしなどをし、自炊に勤しみ、娯楽はインターネットと読書と料理という生活。極力労働をせずに、豊かに(楽しく)生きている人たち。この世界を実現していて、例えば著書をもっている人には、もとニートのphaさん、持ち家とわずかな貯蓄を頼りに仕事につかない道を選んだ山崎寿人さん、隠居系男子と名乗り、週2日だけ働き自由きままに生きる、大原片扁理さんなどがいる。貧乏が苦でない、田舎暮らしやスローライフに興味がある人は真似できるかも。

 

2.養ってもらう系

 

専業主婦や、同棲してる彼氏が金持ちとか、働きたくなくて、というより運や、必然的なできごとにより養ってもらっている人のほうが多いかも。

それ以外では、親が比較的裕福でかつかなりのリベラリストであり、ニート、もしくはそれに近い状態が許される恵まれた人。親の育て方がよい(とわたしは思います)と、フルタイムや正社員で働いていない、ということに本人は罪悪感をもたず、親もガミガミいわずに見守っている。

 

3.フリーターを極める

 

非正規の労働人口が増えていることがよく問いただされているが、本当に問題なんだろうか、と、いわゆる「労働」がキライな私は思ってしまう。望んで非正規な働き方をしている人も結構いると思う。

 

夏はサーフィン三昧で暮らしたいから、世界を放浪したいから、正社員に興味がないから、もちろん、週5日働くのは大変だから、という理由でフリーターを選んでいる人もいるだろう。ただし、実家暮らしか、貧乏でも苦にならないか、ある程度の時給の仕事をこなすスキルがある、のうちどれか一つは持ち合わせていないと難しいかも。

 

4.手に職をつける

 

少ない時間でたくさん、もしくは人並みの生活ができるくらい稼げる人。そんなに難しくはないけど、誰でもいつでもこの状態できるというわけでもない。ブロガー、投資家、ライター、作家、カメラマン、士業、などもここに。

 

薬剤師さんとか看護師とかも、週3、4の労働で生きていけそうだし、要は職業に限らずスペシャリストになって収入をアップさせれば、週に5日働かなくても生きていくことができる。これは職種によってアプローチがまったく違うが、得意なことか好きなことどちらかを仕事にするのがよい。両方だったらなおよい。

 

この生き方は、ぶっとんだ生き方はできないけど、週5日も労働に費やすのは無理!と思っている人、やりたいことが明確な人におすすめだ。

 

==

 

自分の働きたいペースで生きている人は、だいたいこのうちのどれかか、もしくは、1〜4のミックス型(誰かに養ってもらいながらスペシャリストを目指しているとか、バイトをしながらスペシャリストを目指しているとか。世捨て人になりながら、週2日だけバイトをしていたるとか)であると思う。そこで、ユルく生きるために、自分の現在のスキル、性格、環境を踏まえ、自分に1番しっくりくるものを選び、そのライフスタイルで生きている人の真似をしたり、その人の本を読んでみるのはどうだろう。

 

今の時代、フルタイムよりも少ない労働時間で生きていくことは、 独身であれな全然難しくない世の中なのかもしれない。


必要なのは、気合い、それを手に入れるまであきらめない根気、覚悟、世間体を気にしないこと、かな。あとは、借金がないこと、くらいだろうか。

 

「仕事が好きで残業したい人もいる」「うん、そうだよね、そんな人も……?」え!そんな人まわりに何人いる!?

昔から、日々残業を厭わなという姿勢を理解できなかった。

 

社会に出てからほとんど毎日定時になったらソッコー帰りたい!と思っていた。

 

編集やライターの仕事をするようになると、働くことが少し好きになりその気持ちは少しだけやわらいだ。

 

でも、週5日働ていてほぼ毎日残業だとやっぱつらい。ゆっくりする時間が全然ないし、日常のことが終わらない。歯医者とか行けない。そして、ただでさえ仕事のストレスでやられているのに、残業すると回復する前にまた仕事!で、週末だけではダメージをもとに戻せないではないか。

 

そんでもって毎日会社でコンビニこはんで済ませてながら平気な顔でいる人とか見ると、人間としての基本(食)をおろそかにまでして働いて、どうして普通の精神状態でいられるんだろう、とどうしても思ってしまう。まさに、生きるために働いてのではく、働くために生きている本末転倒な状態だと思う。

 

よく、ネットなどで、でも仕事が大好きで好きで残業したい人もいるではないか、という意見を目にする。そうだよな、確かに体力もあって、仕事が趣味!むしろ残業してでも成績あげたい!いい企画出したい!そんな人もいる…、いるよな……。え?そんな人いる!?

 

そういう人もいるよなーって思いかけたのだが、36年間生きていて自分の経験上、思い浮かんだのは、2、3人程だった。もっともらしいこの意見にだまされそうになったけど、実際にはものすごく少ないんじゃないか。クラスで1人とか、多くて2、3人のレベルなんじゃないのか!?そんな少数意見のために、残業を肯定するなんて間違ってる!

 

そりゃ、ここぞというときに(納得いく企画が思い浮かばないとか、接客業ならクレームうけてる真っ只中とか)定時を過ぎてしまうということは、日本人ならどんな人でもあると思う。そのぶん顧客やクライアントになったときに不快な思いをすることは少ないという恩恵をうけているから、日本にいる限り多少は仕方がないのかなと思う。だからといって毎日残ってでも仕事がしたい人とは別だ。

 

いや、もちろん、自分の経験を通しての話なので、もっとキレキレの仕事ニンゲンたちが集まった会社とか、業界や職種によってはもっといるかもしれないけど。でもそういった組織では、好きでやっているというより残業が当たり前すぎて、残業と感じていない人が集まっているのではないか。

 

それでも、今日やる仕事はパーフェクトに終わり、帰っていいよと言われても残って仕事したい!という人は、やっぱりどんなに多くても10パーセントくらいなんじゃないだろうか、と思うのだ。完全なる推測だけど。

 

もちろん、必要であれば残業が苦でない人というのは日本にはたくさんいるかもしれない(残業代で稼ぎたい人も含む)が「苦ではい」と「残ってでも仕事がしたい!」というのは違う。

 

「残ってでも仕事がしたい!」という人は、会社以外の活動で何かをインプットするなり仕事のスキル高をめるなりしてくれと思うのは私だけだろうか。

 

残業する人が増えるととにかく、残業しないとまわらないプロジェクトや組織や会社になっていくから。それに、キャパシティの低い人や、さまざまな事情を抱えた人、家庭をもっている人が巻き込まれる。それだけならまだしも、下手をすると真面目でノーといえない人たちが命を落とすことにまでなるのだ。

 

あ、もちろん、芸術家とかフリーランスとか自分で何かをやっている人(要は雇われていない)は、別(残業自体存在しないですよね)ですが。

 

 

 

 

「好きなことを仕事にしたい人」がやってはいけないこと

週5日勤務に浸かれ、正社員退職後に派遣で働きはじめ、快適な生活を送っていた。

 

勤務日数は、週3日だと金銭的に心もとなく、超細々とライターの仕事もしていたので週4日だとツライ。週3.5くらいに調整しながら働いていた。が、しかし、なんだかんだライターの仕事を入れてしまうと、結局、週5日働いているような?しかも、自分が書きたい!やりたい!という仕事であればいいのだけど、依頼が来たのでなんとなくやってみるか……というテンション。

 

もっと、勉強したり、読書したり、書いたり……したい。そのために会社やめたのたのに。

 

やりたいことが思うようにできていない、泣。

 

 

というわけで、5月は思い切って、ライターの仕事を休むことに。

 

 

 

ライターの仕事を休むかわりにそのかわり派遣の仕事は週4日で。ただ、残業なしで帰ることができれば、ま、いっかー。と思っていたのだが、いろいろな事情により残業が発生。ライターの仕事も4月の原稿の修正や連絡等で、落ち着かず。月半ばにしてやっと落ち着いたかなという感じだ。

 

なぜだ。なぜただ生きているだけこんなに時間がないのか、なぞだ。

 

でも、何年かぶりにGWはゆっくりできたよ。

 

編集の仕事やっていると、カレンダー通りでも、結局、何日か自宅で作業する羽目になっていたのだけど、今年は久しぶりに羽を伸ばせてうれしかった。

 

ちなみに、いまさっき過去のこの投稿「迷ったときはやりたいことを3つに絞ってみるとスッキリする - 会社員、卒業してみた。

」みて、余計にやろうと思ったことできていないと感じた。ダメだ心を入れ替えようと。この間読んだある本のおかげで気づいたけど、わたしはいつの間にか日銭を追ってしまっている、だからいつまでたってもスキルアップや好きを追求する時間がなくなり好きなことで稼げないんだろうなぁ、そろそろこれ本当にやめなきゃいけないと反省。いつの間にかというところがコワイ。もちろん、必要最低限のお金を稼ぐ必要はあるけど。それが確保できるなら知識やスキルを身に着ける時間にあてなくちゃいけなんだよね。

 

仕事もひと段落したことだし、今月後半は、読書に燃えたいと思います。

生活への満足度が上がった理由

昨年12月で、WEBメディアの編集者として働いていた正社員を辞め、現在は派遣で働いていている。

 

正社員で働いているとき、生活に対しての満足度は30%くらいでした。とにかく、やりたいことが全然できなかったので、ホント、欲求不満でした。ちなみにわたしのやりたいこととは、次のこと。

 

・日本文化や、スローライフなど自分が書きたいことを書く

・日本文化について勉強

・健康的な食事を摂る、ゆっくり食事の時間を楽しむ

・読書をする

・映画を観る

・もの作りをする

・友人と遊ぶ

・彼氏とゆっくり遊ぶ

・旅行

 

彼氏とは一応毎週末会っていた。週末や3連休を利用して彼氏と旅行には行っていた。が、今、振り返って改めて、他のことはほとんどできていなかったことに気がついた。しいていえば、友達とはたまに会っていたかな。そりゃストレスたまるわけだ。

まぁ、通勤が遠かった(1時間15〜30分くらい)のもあるかもしれないが……。

彼氏と遊ばないで、やりたいことやれよ!と思った人いるかもしれないけど、基本、彼氏とは毎週会いたいし、やりたいことを削って、違うやりたいことをやるのは違う気がする。だったらやりたくないことを、削りたい。あとは、たかだか、週に1日削ってもなぁ、という気もする。

 

で、現在は派遣で週に3〜4日、働いています。まだ時間の使い方が下手なこともあり、すべてはできていないんだけど、今の生活にはとても満足している。半年前の、精神的な満足度30%だったのに対し、今は80%くらい。

 

ただ、ふっと思ったのが、毎日会社に通い、残業しながらも、人とあったり、遊んだり、楽しそうに生きている人って、今のわたしみたいな精神状態なのだらろうな、ということだ。今まで、なんであんなに働いて普通の生活ができて、あんなに楽しそう(苦しくなさそう)なんだろう?とすごく疑問だったのだ。でも、わたしが苦しかった1番の理由はただ単に本当に、わたしの社会生活をこなすキャパが低かったのだたということが判明した。

 

わたしは、そういう普通の(だけどすごい)人の生活をすると、社会生活をこなすキャパシティが低いからすごく苦しくなるのだ。

プラス、結構好奇心旺盛でやりたいことがたくさんあり人より時間が足りない、という理由もあるが。

 

だから、働く時間を減らすことでグンと人生の満足度があがった。

 

正確には今までも働く時間を減らすことにはチャレンジしていたのだけど、週4日以下では仕事の種類は少なく、時給もフルタイムより下がるし長く続けられなかった。今は、多少スキルがついたのと、職種的にもフリーが可能なので、たぶん、週5日じゃなくても何とかやっていける。

 

今みたいに「普通に毎日楽しい」と思える感覚になったのは、36年間生きていて、初めてかもしれない。短期間ならあったと思うけど、やりたいことや書きたいことがわからずに悶々としていたので、やっぱり今のほうが楽しい。

 

本当に書きたいことを書ける仕事ならいいけど、それ以外では週5日は働きたくないかな。働きたくないというより、やりたいことやる時間を減らすのが無理だ。ただ、普通のバイトだと金銭的に難しいので、活字に関わることもできているし時給もよい今の仕事に感謝。

 

最近、「なるべく働かないで生きる」というライフスタイルをしている人が増えているけど、もっと働き方やペースを選べる世の中になるといいな。だいぶなったのかもしれないけど。

 

ケータイキャリア会社って、やっぱり顧客のことなんて考えてないよね

先日、今までつらかった仕事のことを書いた。その中のひとつが、ケータイのショップ店員だ。接客業務の中には、営業やクレーム対応に加え、複雑な料金プランや購入方法を年配の方に説明したり、個人情報保護のために細かい本人確認業務を覚えたり、説明したり、楽しいこともあったけど、なかなか大変であった。

ただし、お客様からお礼を言われたり、同僚、先輩、後輩など人には恵まれていて、数年勤めることができた仕事だった。

でも、この前久しぶりに、利用しているキャリアのショップに行き、あのときのモヤモヤ、イライラ、どうにも納得できない気持ちが蘇ってきた。

足を運んだの平日の日中14時か15時頃だった。番号札をとるときに、○○分待ちという時間が表示されており、それが、なんと1時間待ちである。しかも、その番号札の機械は、時間がかかる機種変更や新規契約と比較的短い時間で手続きできる契約内容の変更など2つに分かれているタイプ。わたしは、支払い方法の変更の札をとったが、店員の案内によると、それでもやはり1時間から1時間半くらいかかるとのことだった。

働いていた身分なので、さまざまざな手続きに客が思っている以上の時間がかかるのもわかる。時間帯や曜日によってはかなり込み合うのもわかる、それでも、土日祭日でもなく、夕方から夜にかけてでもなく、1番すいてる平日の日中にこの込み合いようって……と、唖然としてしまった。

月末ということもあったのかもしれない。自分が働いていたころも1時間前後お客を待たせることはあった。しかし、店や規模や店員の人数が違う、わたした働いていた店は、カウンターも同じか少ない、店員の数も少なかったので、客の波によってかなりお客を待たせてしまうことがあったが。

立地的に今回訪れた最寄り駅のほうが人が多は多いが、大都市というわけではないし、そんなに変わらないような場所で働いていたこともあった。働いていた店と比べ、店員の数はほぼ倍、カウンターも倍か1.5倍はある。

さらに、わたしがまっている間にも、待ち時間の札は90分待ちに。そして、思った。

 

こんな状態で顧客満足度などとのたまうことが、なぜできよう。

 

確かに、スマホの登場で、いろいろな説明は増えているのだと思う。でも、それだけではない気がする。修理はメーカーと直接手続きできるようになったし、不要なオプション加入を強制することもなくなったようだし、タッチパネル、ペーパーレスなどで業務効率があがっている点も多くあるからだ。しかも、この店は、店員もいる、カウンターの数も少ないとは思わない、それなのになぜ、平日の日中にこのような自体になっているのだろう。

 

理由は店内のポスターの数々にあるのではないかと思った。

 

固定電話回線、インターネット回線、タブレット、などでも大変だというのに、よくわからない保険とか、カードとか、でんきとか、ケータイ意外のサービスが盛りだくさん。どうにかこうにかやって儲けようと、ケータイショップの範疇を超えつつあるサービスや商材の増加だ。

 

働いていたころ固定電話回線、インターネット回線だけでも、サービス説明や契約だけで、時間がかかっていたのは記憶にある。それが、カードや保険や、でんき。

 

基本的にはサービスというのは向上していくものではないだろうか。それが、年々いろいろな商材が増え、客を待たせたり、不要な営業をされたり、ということが起きている。

しかも、スマホの普及で料金は値上がりし、国からなんだかんだ言われているのに、料金が下がる気配はいっさいない。

 ケータイ会社きたねぇ。そう思われても仕方なくない???

以前には、ケータイ契約や機種変更の際に、必須加入のオプションが問題になっていたことも記憶に新しい。しかも、消費者センターなど相談が相次ぎ、問題になっても、キャリア側は店を運営する代理店に対して「オプション加入の強制はしていない」といっていた。

何を言っていやがるんだ!?である。

いくつかのオプションは加入してもらわないと、売上にならないどころか、オプションの加入率が少しでも下がる(うろ覚えだが確か100%に近い数字)、のちの奨励金が大幅に変わるため、運営費用を考えると下手したらマイナスだ。

 

キャリア会社、汚い……。

 

そう、強く思ったことをを覚えている。しかも、客だけではなく、クレームにならぬように、必死で説明をしなくてはならず、加入してもらう側の店員たちも一苦労であった。

ただ、その後、かなり年数は要したみたいだけど、オプション加入は必須ではなくなったらしく、(たぶん、客からのクレーム絶えなかったんだろうなぁ)やっとかぁと思っていた。

他にも、まだ字も読めるか読めないかのような子に、子ども用ケータイを勧めるとか、おじいちゃんとかおばあちゃんにインターネットの利用オプションを進める(機器を買ってもらうときはほぼ強制)とか、そういったことに、わたしは最後まで納得ができなかった。

これは、自分が使っているキャリア、働いていたキャリアなど関係なく3社似たりよったりだろう。

現在も、まぁ格安スマホがあるので本当に困った人はそちらにということなのだろうか。政府が、スマホ料金の値下げを号令するも、3社とも見送り。

MNPや新規契約ばかり金を使って加入促進し、昔はあった利用年数による割引もとうの昔になくなり、ショップでは昔以上に客を待たせている。

それでいて、働くスタッフには、お客様のためにの精神を強制。はっきり言って汚いなぁと思う。

営利を求めるのは間違いではないが、客と実際に客と接し働く人のことを今の100倍は考えてほしいと、強く思う。

そして、わたしたち消費者は、思うだけじゃなくて、声をあげていかなきゃならんのかもなーとも思う。