「仕事」と「労働」の違い
過労で心を病んでしまう人がいる原因のひとつに、「労働」と「仕事」の区別がついていないことがあげられるのではないかと思う。
三省堂の「新明解国語辞典」によると、それどれは以下のように説明されている。
労働
収入を得ることを目的として、その人自身のからだを使ったり、頭を働かせたりして、行動すること。
仕事
からだや頭を使って、働く(しなければならない事をする)こと。
2つの違いが、シンプルだけどわかりやすく表されていると思う。「 労働」は、金のための行為で、「仕事」はお金に関係なくても、「しなくてはならない」(=自分にとって必要なこと、それをせずにはいれらない)と思える行為。
「労働」なら金のぶんだけ働けばいい
何が言いたいのかというと、給料(金)をもらうことを引き換えに働いている、サラリーマンは、金をもらえる分だけ「労働」していればいいのである。
過労がたたり、体や心に支障をきたす人は、たぶんもらっているお金のぶん以上に「労働」をしてしまっているのだと思う。
みんなもっと働いているからとか、やらないと上司に怒られるから、人が足りなくて仕方なく2人ぶん働いている、とか、そもそもの仕事量が給料と比べて多すぎる、そういう理由で同じ(もしくは見合っていない)給料で、必要以上の業務量や責任やらが増えるのは、本来間違っている。なぜなら、「労働」とはお金のために働くことだから。
だから、本当はみんなもっと、これは単なる労働だ、と割り切っていいと思うのだ。
「そんなの甘い。社会人として、生きていくにはもらっているお金以上に働かなないと、通用しないよ」 という声も聞こえて来そうだけれど、お金のぶん以上、もしくは給料に関係なく働くには、本人にとってそれが「労働」ではなく「仕事」でなくてはいけない。
・お金をもらう以上に働くべき。
・人から感謝されるように働くべき。
・お金をもらってるぶんだけ働いてたんじゃ、社会で生きのこれない。
・ときには我をわすれて努力すべき。
・ときにはがむしゃらに働くことも必要。
・給料もらっているんだから、プロとしてできることは何でもこなすべき
なんて内容の記事とか意見や言葉を目にすることは多い。でも、給料をもらっているからという動機だけで会社からいわれたことだけをこなす働き方で、このような精神論の数々を当てはめると、きっと心は壊れる。
これらは、ぜんぶ自分で選んだ仕事でかつ、お金は関係ないもしくは第二で働くことが身になると思える「仕事」に対する内容で、いわれたことをこなす「労働」にあてはめるべきではないのだ。
それなのに、働く人も企業も、マスコミも、だいたい、労働と仕事をごっちゃにしてしまっている。
というか、労働という概念を認識していない人があまりにも多いのではないか。もっといえば、労働者=いわれたことしかできない人、もしくは、日雇いで働く人、というイメージにより、社会の邪魔ものようなイメージ。どうも「クサいものにふたをする」ようなフシがある。
でも、わかりやすくいうと、一生涯毎月100万円もらえます、といわれても続けるのが「仕事」、やめて違うこと、もしくは好きなことをするぞと思ったら、それは「労働」なのだとわたしは思う。「新明解国語辞典」もそういっている、たぶん。
そういうと、キャリアのある人などは「そもそも労働をするな、仕事をしろ」というだろう。わたしもそう思う。
給料をもらっている中で、お給料以上に、自分が成長したい、楽しい、天職だと思える、スキルアップのため、と思える「仕事」をしながら働けるのは素晴らしいことだと思う。
ただ、日本の会社は部署や職種をまたいでの異動もあり希望の仕事ができるとは限らないし、どうしてもお金が必要で働かなくてはいけない人もいるし、やりたいことがわからず「労働」を続けている人、プライベート重視で労働とか仕事にこだわらない人、いろんな人がいると思うので、一概に、やりがいのある仕事に就きなさい!なんていえないはずだ。
だから、スーツを着た日本のサラリーマンにも「労働」をしている人は多いと思う。いわれたことをあれこれ、給料のために「労働」をしながら、上記の精神論を真面目に信じて、長時間労働なんてしようものなら、体や心がおかしくなって当然だ。
会社員は、給料以上に働きたいと自然と思える人だけ、給料以上に働けばいいと思う。そうじゃない人は、もらっている給料のぶん、淡々と働いていればいいはずだ。残業だってムリにする必要ない。もちろん、さぼってもいいとか、仏頂面で仕事していいということではないし、もちろんお金をもらているぶん働くことは必要だけど。
そもそも、それが普通なはずなのに、日本の会社はどうも、貰っている給料以上とか、決まった業務以上に働かなくてはいけない、という無言のプレッシャーがあるように思う。
もちろん、給料関係なく、自分が楽しんでできる仕事をできたら1番だし、素晴らしいけど、「給料以上に働きたいと思える人」がスタンダートになってはいけない。
でも本当の理想は、働く側が「給料以上に働きたいと思える仕事や趣味を職業にすること」かもしれない。プラス会社側の長時間労働じゃなくても利益を出せる仕組み。
自分は今どちらかというと労働をしていると思った人は、これは単なる労働だと割り切って働いていい。(どちらかに明確にわけられないこともあるかも。心持ちしだいで変わるので、仕事50%、労働50%かなという人もいるかもしれないけど。)
「そんなこと言ったって……仕事は減らない」「働かないと生き残れない」とか思う人には、こう問いたい。
同じ仕事をしていても、
「これは労働だ。給料もらっているぶん働いていればいい。自分は給料の分はもう働いているからあとはできなかったら仕方がない」と思って働いている人と、「みんなもっと働いているのに、自分はこんな仕事でツライなんて……。もっと働かなきゃ」と思って働いている人、どちらが精神衛生上よくないか?答えは一目瞭然だろう。
ちなみに「労働」ではなく、「仕事」をしていても、過労がたたるケースはあるんじゃ?と思う人もいるかもしれないけど、個人的には、病気になるまで働いてしまうのは、何らかの圧力があるが故、と思うので、本人は仕事のつもりでも、「労働」の割合も多かったのでは?と思う。特にメンタルやられてしまった場合などは。