日本はスーパーマンじゃないと生きづらい

もう10年以上も前のことだ。「片づけられない女たち」というADHD、ADDについての本を読んだとき、自分はコレだ!と目からウロコがおちた。

でも、読み終わったところで、仮にそうであったとしても、ADD(わたしは多動のないADD的傾向が強い)であるからといって、何を、どうすれば、生活がラクになるのか、全然わからなかった。

週5日働くだけで疲れてしまって、身の回りのことができないし、普通に生きられないという思いをずっと抱えていた。

一度だけ病院にも行ったけど、確かにその傾向は強いといわれたが、ウツ?とかに処方されるような薬を渡されて終わった。

しかし、生死に関わるほど困っているわけではなかったので、その後病院は行かず。ただ、ADDやADHDの本を読み続けるうちに、診断がでるかは微妙なグレーゾーンかなーと思うようになった。そして、自分は好きな仕事につかなくては生きていけないということと、カタい職場は向いていないということと、ストレスに弱い、人より少しゆったり生きたほうがいいだろう、ということを何年かかけて自覚するようになった。

そのうち、文章を書いたり編集したりする仕事を始め、年齢を重ねるにしたがって少しだけADD的な症状は少しマシになった気がする。

仕事は大変なのには変わりはないけど、興味がない仕事よりは気持ちがラクだった。

そして、何とか仕事をして、ときたま部屋が散らかろうが、用事を先延ばししようが、待ち合わせに遅刻をしようが死なないし、人より遅かろうが、1日お風呂に入らなかろうが、もうそれがわたしなんだから仕方がないや、と、いつの間にか開きなおれるようになっていた。

最近、アスペルガーという言葉も一般的に知れ渡ってきて、発達障害に関する認知度は少しずつ上がってきているが、今、思うのは、たぶん世間が想像している以上に、発達障害の気がある人は多くて、全然めずらしくないということ。

小中学校の頃から授業がぜんぜん頭に入ってこなかったので、自分は普通ではないと思っていたという友人(親が家庭教師をつけてくれて何とか高校は卒業した)は、やはりADDの症状が強いので病院に行ったほうがいいか?資格取得のための学校も行かなきゃと思っているのに、家にいて動けなくなってしまうことがある、やるべきことをぜんぜんこなせない自分がツライと悩んでいた。

そこから、友人知人の中で、あの人もADHD的だ、あの人はアスペルガーで訓練所に通っている、とかいう話になった。

2人の知人や友人以外でも、例えば編集とかそういう仕事をしていても、遅刻したり、先のばし癖があったり、ADAD的な人やメンヘラっぽい人にも結構遭遇する。(本を読み漁ったので今ではそれらしい人はわかる)

週5日、バリバリ働いて、家事もこなして、という人がいるのも事実だけど、35年間生きてみたら、発達障害グレーゾーン的な気質で、自分と同じようにフツーの生活をひいこら言いながらなんとかやり過ごしている人も、想像以上に多かったのだ。

むしろ、全世界の人たちを調査したら、週5日働きそこそこ残業して家事や用事や人付き合いをそつなくこなすことができる人のほうが少ない気がするんですけど?(ときおりわたしみたいなダメな人のほうが普通じゃない?とまで思う……)。

「いやいや、類は友を呼ぶというではないか、あたなたのまわりにはいても、わたしもまわりにはいませんよ」という人もいるかもしれないが、世間からわかりづらいところでいうと、働くのは向いていないと見切りをつけ専業主婦をやっている人は結構いるんじゃないかと思っている。他、水商売やっている人の中にも多いのでは?という印象だ。

また、多少不器用だったり発達障害の気のある人たちにとっては特に、他の人たちにとっても、昔は専業主婦が成り立つので、家事は家事、仕事は仕事と、男女それぞれがひとつの役割をこなしていればよかったし、結婚の年齢も早かったし。そんな家庭が大多数だったものの、今は違う。ひとりで何役もやらなくてはいけない。

それなのに、いまだに類まれなる社会適応能力をもつ人に合わせた長時間労働や週5日労働の社会構造になっていることに、全然納得できないし、理解ができない。結婚して、残業もして、家事をしっかりこなして、飲み会にも参加して人付き合いもそつなくこなして、要は今の日本はスーパーマンじゃないと生きづらいのだ。でも、世間が思っている以上に精いっぱいの人は多い。これだから未婚率減らないし、過労死もなくならないと思うのはわたしだけだろうか。